昨日は、幼稚園で造形教室がありました。
担任の先生方と一緒に子どもたちをサポートしていくのですが、
そのときに、感じた事などを共有したり、お互いに質問をして、また理解を深めたりしています。

こんな質問がありました。
お友達同士、相談し一緒の描き方にしているから、まるで同じ絵のようになってしまう事があります。どうすればよいのでしょうか。

さあ、どう考えてみましょう。

以前、私もよく考えました。そして、いろいろ調べたり、子どもたちを見守っているうちに、私なりの捉え方、考え、思いが出てきました。
あくまで、今の私の考えなので、何か参考のひとつにしていただけると、少しお姉さん?で少し経験ありの私も役にたったかな~と、これまたうれしく思います。

せっかく自由に、自分が感じたまま描いていいのに、どうして、お友達とまねっこして描くの?
上手下手もないし、正解も不正解もないのに。
ましてや、そんな風に声かけしているのに、なんで?

そんな風に考える事があります。

でも、本当にそうでしょうか?

まず、遊びの延長線上にある造形遊びがあるとするなら、仲の良いお友達とまねっこして遊ぶというのは、とても自然な事です。
仲が良いというのは、なにかしら気が合うからで、少々違っても、一緒であるのがうれしい事があります。その仲間が、この色いいよね!こんな風に描こうよ!なんて声かけてきたら、共感しますよ。
いいね!いいね!やってみよう!

大人が考えているファンタジーを子どもに押し付けてはいないでしょうか。

それこそ、大人が子どもに求める伸びやかで自由、素直な子供らしさ!

影響を受けるのは当たり前。
自由と言うなら、まねっこするのも自由なはずです。
自分が感じたまま動くから、まねっこするのでは?

他者と綺麗だと思う事を共感できるのは、なんと素晴らしいことでしょう!
他者とアイディアを重ねて形にしていくというのは、なんて建設的なんでしょう!
他者と同じ動きができるというのは、なんて開かれ適応力があるのでしょう!

まるで、アートコミュニケーション!

気づいていない、不安に思うことがあるかもしれないので、聞いてみたり、声かけしてみたりする事は必要ですが、やっぱり見守るしかありません。

まねっこが楽しければ、とまらないのです。…むしろ、盛り上がります。

そして、まねっこしていても、完全まねっこコピーはできません。
意識しようとしまいと、ポロリと自分が出てしまう。

その違いを見つけてみるのも、また楽しみの一つになります。

同じコミュニティーで過ごす事も、一緒にまねっこが楽しい時間も、一生続きません。
様々な環境に影響を受けながら、どんどんアンテナはって試して動く!
動いて動いて振り返ると、自由な自分の軌跡があることに気づくのではと思います。

ああ、これがその都度選択してきた自分らしさなのかな…

と、話しは少々脱線気味ですが。

幼稚園での様子は限られた数時間。
造形教室のときには、いまいち興味ないかな…動きがスローだな…な子も、お母様情報で、「家でも造形教室でやったことを楽しくやっている」なんて聞く事もあり、意外に思う事も多々あります。その時間にしようとしまいと、何かがそこで感じられればよいのではないでしょうか。

1クラス20人前後の子どもがいるので、好みも興味も様々です。ひとりが、数回に1回くらいは、おお!と心動かされる内容ができればと思います。そのためには、やっぱりこちらが、おお!と感じるやってみたい事を熱量もって伝えていくことが大切なんですね。
相手が興味がなくても、こちらが面白そうにやっていると、なんだか面白く感じてきます。
伝染させていくのが一番です。

ビビってしまうことに、子どもって見抜いちゃうんです!…私の心、見えてる?

そして、幼稚園、幼稚園以外で子どももいろんな環境の中、その時間を過ごすわけですから、気分がのらないときもあります。


心底楽しみ、素直に伝えて、後は見守っていく。シンプルです。

これが、今の私が感じ考えた答えになります。この答えをもとに行動していきたいと思っています。
たくさん横道それて考えることはありますが、このへんで。
少しは、参考になったでしょうか~。

まあ、人は変わるものです。
研究して行動して、研究して行動して…
変わらずにあるものが、自分の中のぶれない大切にしている答えだと思っています。